移行しました
WordPressで運営していたこのブログなのですが、忙しくなって更新できなくなって2年近く経過していました。
古い情報も更新できず、書きたいことがあっても時間がなくで、もうブログごと消してしまおうかなと思っていたんです。
ただ久しぶりに開いてみると、熱心に書いていた当時の気持ちも蘇ってきて全部消してしまうのは惜しいなと・・・。
そこで古くなった情報やアフィリエイト目的の記事は消したうえで、はてなブログさんに移行することにしました。
これからどれくらい更新できるかわかりませんが、スペイン観光や生活に必要な情報を見つけたらここに書いていきたいなと思っています。
質問をいただけたらできるだけ答えたいとも思っているので、何でも気軽に聞いてください。
それではみなさん、よろしくお願いいたします。
スペインのクリスマスお菓子のトリビア!マンテカオとポルボロンとロスコ・デ・ビノの違い
スペインにはトゥロンを始めとしたクリスマスの時期に食べる伝統的なお菓子が沢山あります。
その中に
・マンテカオ
・ロスコ・デ・ビノ
がありますが、正直この3つのお菓子形が多少違うだけで食べてもあまり違いが分からないんですよね。
これまで勝手に地域によって呼び方が違うのかなと思っていたのですが、スペイン人の義理母がそれぞれの違いを説明してくれました。
ここではこの3つのお菓子の違いを皆さんにシェアしたいと思います。
ポルボロン・マンテカオ・ロスコ・デ・ビノの違い
さっそくポルボロンとマンテカオそれにロスコ・デ・ビノの違いについて見ていきたいのですが、そもそもこれらのスペインのお菓子についてあまりよく知らない方も多いでしょう。
この3つのお菓子は全て小麦粉とアーモンドの粉末とお砂糖を練ってオーブンで焼き上げたもので、甘くて若干モサモサした口当たりでお腹にずっしりたまるのが特徴です。
あまりおいしくなさそうな説明になってしまいましたが、スペインらしい素朴で自然な味わいで1つ食べたら次から次に食べたくなる不思議な魅力があります。
クリスマスの時期にはスーパーやパン屋さん等で量り売りされていますが、3つを食べ比べてもあまり違いが判りませんしスペイン人でも何がどう違うのか知らない人が多いんですよ。
ポルボロン
まずスペイン土産としても人気のポルボロンですが、3つのお菓子の中で唯一一年中スーパーで見かけます。ただ普段はパック売りなのですが、クリスマスの時期はより伝統的な形式で1つ1つ分けてマンテカオやロスコ・デ・ビノとともに量り売りされています。
ポルボロンは小麦粉とアーモンドとお砂糖のつなぎにオリーブオイルとともにマンテカと呼ばれる豚のラードが使われています。
これはマンテカオも同じなのですがポルボロンはマンテカオよりアーモンドの粉末の割合が多いとのことです。
形は楕円形のことが多くなっています。
マンテカオ
次にマンテカオですが、マンテカオもポルボロンと同じく小麦粉とアーモンドとお砂糖のつなぎにオリーブオイルとマンテカという豚のラードが使われています。
マンテカが使われているのがマンテカオの名前の由来ですね。
マンテカオとポルボロンは本当に食べても全く違いが判りませんが、マンテカオはポルボロンよりアーモンドの粉末の割合が少ないとのことです。
お土産としてはポルボロンの方が良く名前が知られていますが、スペイン国内(アンダルシア地方)ではマンテカオの方がより一般的だったりします。
見た目もポルボロンとほとんど変わりませんが、楕円形でなく円形になっていることが多いです。
ロスコ・デ・ビノ
最後にロスコ・デ・ビノですが、ロスコ・デ・ビノは小麦粉とアーモンドの粉末とお砂糖のつなぎにオリーブオイルと白ワインが使われています。
他の2つと味はほとんど変わらないのですが、ラードが使われていない分若干あっさりしていて表面の触感がやや硬めになっています。
形は“ロスコ”の名前通り真ん中に小さな穴が開いたリング状になっていますよ。
まとめ
今回はスペインを代表するクリスマスのお菓子である、ポルボロンとマンテカオそれにロスコ・デ・ビノの違いについて紹介しました。
この3つのお菓子を手作りしたこともあるというスペイン人の義理母に聞いたので、おそらく合っているんじゃないかなと思います。
マンテカオとロスコ・デ・ビノは本当に11月から1月上旬しか売られていないので見かける機会は少ないかもしれませんが、運よく3種類とも見つけたらぜひ試しに食べ比べてみてくださいね。
スペイン内戦について!スペインの暗黒時代をわかりやすく解説
スペインが1975年まで40年近くの間フランコによる独裁政権に支配されていたことを知る方はあまり多くないかもしれません。
スペインに独裁政権が誕生したきっかけはスペイン内戦です。
スペイン内戦はフランコ率いる反乱軍側についたのがドイツのヒトラーとイタリアのムッソリーニというファシスト達、スペイン政府と民衆側に着いたのが当時同盟関係だったソ連だけ、フランスやイギリスなど西欧諸国は無視を決め込むという本当に酷い構図でした。
ピカソの大傑作である『ゲルニカ』が生まれるきっかけになったこの内戦について、できるだけわかりやすくまとめていくことにします。
スペイン内戦が起きた背景
まずは何が原因でスペイン内戦が起きることになったのか、その背景から見ていきましょう。
19世紀初頭にナポレオンがスペインに侵攻して以降、スペインの内政は不安定な状態が続きました。
7年程でナポレオンの支配を退けるもののその後一度王政に戻ったのちに6年間民主主義の共和制となり、約30年間王政復古を経たのちに軍のクーデターによりプリモ・デ・リベラの独裁を年間経験することになります。
この独裁政権は民衆の革命運動によって退けられることになり、1931年スペインに選挙による第二次共和制時代が訪れました。当初政権を握ったのは左派政党で、共和国憲法も制定されています。
第一次世界大戦の影響で貧困が広がるスペイン国内で左派政権は農地改革や労働者の権利保護、さらに政教分離などの民主化政策を推し進めました。でもこの改革に大地主や教会など権力者が抵抗を見せます。
しかも当時の労働組合が暴力的な傾向があたのも関係し次第に左派への支持は減っていき、1933年の選挙で右派が勝利します。しかもこれによって左派と右派の間で小競り合いが起こりました。
改革を進めたい左派は何とか1936年の1月の選挙で政権を奪回し、スペインの民主化がさらに進む機運が高まりました。ただこの後も右派と左派の衝突が続き、双方の要人が暗殺される事態になります。
そして1936年の7月右派ファシストのエミリオ・モラが軍部を掌握し反乱を企て、当時スペイン領だったモロッコで軍隊を率い蜂起しました。後にエミリオ・モラからフランコが反乱軍の指揮を任されることになります。
スペイン内戦の経緯
民主主義国家として本格的に歩みを始めた矢先の軍部の反乱に、スペインの人々は抵抗しました。民衆は共和党率いる人民戦線政府側につき、反乱軍に戦いを挑みました。こうしてスペインは内戦へと突入していきます。
人民戦線政府と反乱軍への国際支援
ファシストに率いられた反乱軍は同じファシストが政権を握っていたドイツやイタリアから武器や戦闘員など手厚い援助を受けました。ドイツは当時スペインに軍の部隊とともに戦車や戦闘機まで派遣しています。
一方民衆の支持を集める人民戦線政府はフランスやイギリスなど周辺の民主主義国家に応援を頼みましたが、イギリスもフランスも不干渉政策を取り人民戦線政府に武器の提供などの支援が行われることはありませんでした。
唯一当時同盟関係だったソ連が支援を申し出て、武器や軍の部隊などがスペインへ送られました。また欧州やアメリカからスペインの民主主義を守るため志願兵や医療チームが集まります。
人民戦線政府は反乱軍からの度重なる攻撃にも関わらず首都のマドリードを死守するなど、スペイン国土の大部分は反乱軍の攻撃を退けていました。
ただドイツやイタリアの強力な支援を受けた反乱軍はスペイン北部で次第に勢いを増していきます。北部の主要都市は次々に反乱軍の手に渡り、極めつけに1937年4月にバスク地方の小さな都市ゲルニカでドイツ軍が民間人を巻き込む空爆を行いました。
当時フランスで暮らしスペイン内戦を案じていたパブロ・ピカソはこのニュースに激怒し、あの有名な反戦の絵画『ゲルニカ』を制作しています。(『ゲルニカ』はピカソの遺言により後に成立するフランコの独裁政権が終焉を迎えたのちスペインに贈られました)
北部を完全に掌握した反乱軍はその後スペイン内部のアンダルシアにも勢力を拡大しました。
そして1938年の7月スペイン内戦の中で最長にして最大の戦いがエブロ川周辺で起こり、11月まで続いた衝突の中で人民戦線政府側が非常に大きなダメージを負います。
すかさずカタルーニャ地方に侵攻したフランコは1939年1月にバルセロナを陥落させ、なんとフランスとイギリスからの承認を取り付け独裁政権を成立させます。
多くの共和党員や大統領までもがフランスに逃げ出す中、それでも民衆が抵抗をつづけたマドリードも3月にとうとう陥落し、フランコは勝利を確実なものとしました。
スペイン内戦の終わり
スペイン内戦終了後フランコの独裁政権は1975年まで40年近く続くことになり、その時代スペインの人たちは弾圧に耐え続けることになります。
ファシストの台頭で当時欧州が難しい情勢だったことは否めませんが、民主主義を守るために共和党政府とともに立ち上がったスペインの人たちを結果的に見捨てることになった周辺国の対応にどうしても疑問が残ってしまいます。
スペイン内戦が終わって半年もたたないうちに今度は第二次世界大戦が始まりました。あれだけファシストからの支援を受けていたフランコですが、第二次世界大戦にドイツやイタリアにつかずになんと中立を宣言します(ソ連に仕返しの群を送ったりはしたようですが)。
その後フランコにより長い長い独裁体制の下に置かれたスペインは第二次世界大戦の戦勝国や敗戦国よりも大幅に発展が遅れ、人々は長い間貧しい生活を余儀なくされました。
フランコ体制は革命ではなくフランコの死によって幕を閉じます。フランコが後継者に指名したスペイン王のファン・カルロス1世がスペインの民主化を決定したことで、ようやくスペインの人々に自由が訪れました。
スペインの歴史についてはこちらの記事に詳しくまとめているので、もしよろしければ参考にしてください。
まとめ
スペイン内戦は両軍による残忍な行為や、共和党とアナキストの一枚岩ではいかない関係などもっと複雑な要素をはらんでいますが、ここではできるだけわかりやすくきっかけや経緯をまとめました。
スペインで内戦があったこともその後長らく独裁政権下に置かれたこともあまり知られていないかもしれませんが、この時代のダメージはいまでも確実に当時を知る年配のスペイン人の方の心に残っています。
またつい最近でもフランコのお墓をどうするかでスペインを二分する議論が巻き起こりました。
今はもちろん民主主義が定着しEU加盟国として経済的な発展も遂げたスペインですが、こんな過去があったことも知っていただけるといいなと思います。
スペインの基本情報!首都や人口それに気候や正式名称まで1からスペインのことを知りたい人必見
スペインは日本でも海外旅行先として人気ですが、中にはスペインについてほとんど何も知らないという方もいるでしょう。
そこでここではスペインの首都や人口など基本情報をまとめていきます。
スペインの基本情報
スペインの首都は?人口はどれくらいいるの?気候や治安は?という疑問に答えるため基本情報についてまとめていきます。
スペインの正式な国名
まずは意外と知らないスペインの正式な国名からです。スペインの正式な国名は『スペイン王国』で外務省の国情報にもこう記載されています。
名前からわかるようにスペインはイギリスや日本のように民主主義でありながら国家元首として国王がいる国です。現在の国王はフェリペ6世で、日本の天皇陛下の即位の礼の際に妻のレティシア女王とともに来日されました。
スペインも日本のように男子しか王位を継げない決まりなのですが、現国王には王女しかいないため将来的に法改正されて長女のレオノール王女が次の女王に即位される予定です。
首都
スペインの首都はマドリードです。
スペインの行政区間は国の下に17の自治州があり、その下にさらに50の県があります。首都だけでなく各州には州都が、各県には県都があります。スペインの国土のほぼ真ん中にあるマドリードは1つの県で一つの州を構成している珍しい自治州です。
スペインの州と県について詳しく知りたい方は、ぜひこちらの記事を参考にしてください。
国土面積と人口
スペインの国土面積と人口はどうなっているのでしょうか。
・国土面積 約504,782km2
・人口 約4,708万人(首都マドリード市の人口は約333万人)
スペインの国土面積は日本の約1.3倍で、人口は日本の半分以下ですね。2020年時点でスペインの人口の約10%は外国人になっています。
公用語
スペインの公用語は言うまでもなくスペイン語です。ただいくつかの州が州の公用語を定めていて、それを合わせると計6つの公用語があります。
州の公用語はカタルーニャ語、バレンシア語、バスク語、ガリシア語、アラン語です。バルセロナを含むカタルーニャ地方とバスク地方はスペイン語より州の公用語が使われますが、全土でスペイン語は通じます。
スペインの公用語についてさらに詳しく知りたい方はこちらの記事もぜひ参考にしてください。
通貨
スペインはEU加盟国なので通貨はユーロです。ユーロより小さい通貨単位はセントで、例えば10ユーロ50セントのような値段表記になっています。スペインでのユーロの発音は『エウロ』です。
国旗と国歌
スペインの国家は『Marcha Real』です。サッカーの国際試合等できいたことがある方も多いのではないでしょうか。
宗教
スペインは日本と同じように憲法によって宗教の自由が認められていますが、伝統的にはカトリックです。
スペインでも最近はミサに行く人がどんどん減ってきていますが、名付けは基本カトリックの聖人の名前からとったり、イースターには聖母マリアやイエス・キリストの像のお神輿のようなものを担いだ行進が合ったり、クリスマスを大切にしたりと、生活の中にカトリックの文化が根付いています。
また学校でも宗教という名のカトリックの授業がありますが、希望者は宗教の代わりに道徳の授業を選択することもできます。
旅行に役立つスペインの基本情報
次にスペインを旅行する際に知っていると便利な情報をまとめていきます。ぜひ合わせて確認してみてください。
気候
スペインの気候と言っても南部か北部か、沿岸部か内陸部かで全く気候が違います。
スペイン南部のアンダルシアやバルセロナやバレンシアの沿岸部は地中海気候で1年を通して温暖で過ごしやすくなっています。雨はほとんど降りませんが、いったん振り出すと豪雨になることが多いです。
マドリードを始めとした内陸部は大陸性気候で、冬と夏や朝と昼の温度差が激しい厳しい気候です。夏の暑さと冬の寒さ共にかなり厳しく、特にマドリード周辺は春と秋の天気や気温が安定しません。雨の日は少ないですが秋口と春先に小雨が降る日が続くことがあります。
対してスペインの北部は1年を通してあまり気温が上がらない海洋性気候です。夏でも涼しいので半袖で歩いたり海で遊べる日は少なく、1年を通してスペインの他の地域より雨の日が多いです。冬は通常はマドリードなどの内陸部と比べると気温が高いのですが、一時的に雪が積もるほど寒くなる日もあります。
電流と電圧
スペインの電流と電圧は他のEU諸国と同じ50ヘルツの220ボルトで、コンセントのタイプはCタイプです。
日本は電圧100ボルトでコンセントはAタイプなので、日本の電化製品は通常そのままスペインで使うことができません。電圧に関してはスマホの充電器や一部ドライヤーは220ボルトの電圧にも対応していることがありますが、コンセントだけは必ずCタイプへの変換アダプターが必要になります。
日本との時差
スペインはヨーロッパ中央時間(UTC+1)を採用していて、日本とは8時間の時差があります。日本の方がスペインより8時間早く時間が進んでいると考えてください。
ただEUでは3月の最後の日曜日から10月の最後の日曜日までの間サマータイムが適用されるため、この期間は日本とスペインの時差が7時間になります。
またスペイン領のカナリア諸島はスペイン本土より1時間遅れた時間を採用しているため、日本との時差は9時間(サマータイム中は時間)になるので気を付けてください。
治安
スペインは犯罪率が高いから旅行の際には気を付けるようにと言われることもありますが、スペインで観光客が遭遇する犯罪の大部分はスリや置き引きなどの盗難です。
バルセロナを中心に確かに観光客を狙った泥棒は多いので注意が必要ですが、ただスペインで身体に危険が迫るような犯罪に巻き込まれることは本当にまれです。
夜に人気のない道を一人で歩かない、知らない人についていかない、等ごく当たり前の注意はもちろん必要ですが、女性だけのグループ旅行や一人旅も比較問題ありません。
スペインの治安についてはこちらの記事に詳しくまとめているのでぜひ参考にしてください。
まとめ
このブログを解説してから2年余りスペインに関するいろいろな記事を投稿してきましたが、スペインの基本情報をまとめた記事がなかったことに気付き作成しました。
スペインに興味がある方やスペインに旅行や留学を考えている方のお役に立てば幸いです。
祝世界遺産登録!マドリードのレティ―ロ公園の見どころと散策レビュー
スペインの首都マドリードにはこれまで世界遺産がなかったのですが、2021年ついにレティ―ロ公園とプラド通りが世界遺産に登録されました。
レティ―ロ公園はこれまでも人気の観光スポットでしたが、世界遺産登録を機にぜひマドリード観光の合間にレティ―ロ公園を散策してみたいと考える方はさらに増えるのではないでしょうか。
そこでここではレティ―ロ公園の見どころやわたしが実際に散策した時の様子等を紹介したいと思います。
レティ―ロ公園について
まずレティ―ロ公園について簡単に概要を見ていきましょう。
レティ―ロ公園(Parque de El Retiro)はマドリードの中心部、プラド美術館やアルカラ門のすぐ近くにある緑豊かな公園です。
敷地面積が125ヘクタール(東京ドーム27個分)ととにかく広く、公園内を隈なく散策しようとすると半日くらいはかかるでしょう。
園内にはいくつもの庭園があり、また散策道のあちこちにスペインに所縁の深い人や国に捧げるモニュメントや噴水等が点在しています。
公立図書館やかつてレティ―ロ公園にあった動物園の跡地があるほか、クリスタル宮殿などスペイン建築にも触れることができますよ。
そしてやはり一番の見どころはやはりアルフォンソ12世のモニュメントがそびえるため池でしょう。時間がない方はここだけでもご覧になる価値があると思います。
公園内にはため池が多いからかカルガモやアヒルそれにカメなど水の近くで暮らす動物たちの姿もいたる所で見かけます。
また観光地であるのと同時にマドリードで暮らす人たちの憩いの場でもあります。天気のいい日は日陰にシートを敷いてのんびりしている人がそこら中にいる他、ジョギングやスケートそれにスケボーなどを楽しんでいる人たちもたくさん見かけます。
アルフォンソ12世のモニュメントの近くにはイカリングのサンドイッチやスパニッシュオムレツなど、スペインの庶民の味をお得に楽しめるバルのような所が沢山あるので昼食がてら寄ってみるのもいいのではないでしょうか。
レティ―ロ公園の散策レビューと見どころ
それではここからわたしがレティ―ロ公園を散策した時の様子を紹介していきます。
レティ―ロ公園の入り口はたくさんありますが、アルフォンソ12世のモニュメントを見に行く場合アルカラ門のすぐ傍にあるゲートから入場するのが便利です。
この地図の赤いマークのところですね。
ゲートからまっすぐのびる道を歩いていくと、すぐにアルフォンソ12世のモニュメントが見えてきますよ。
大きなため池には貸しボートが行きかい、カルガモが優雅に泳いでいます。モニュメントの中に入ることもでき、写真のように階段にはのんびりと休憩する人たちが沢山座っています。
真夏の昼間に行ったためものすごい日差しでしたが、水辺の効果かどことなく涼しげでした。
そしてアルフォンソ12世のモニュメントに続くレティ―ロ公園の見どころは、こちらのクリスタル宮殿です。
こちら1887年に建てられた全面ガラス張りの宮殿で、スペインを代表する鋳鉄建築のようですね。
日の光に照らされてキラキラ輝く外観は優美で可憐な印象でした。
そしてこの宮殿、中に入ることもできます。
ガラス張りなだけあってかなり暑かったですが、天井越しに見える空がとてもきれいでした。
床には遺跡のようなモニュメントがいくつも展示されていましたよ。また奥の階段を降りたところにトイレもありました。
クリスタル宮殿のすぐ近くにある公園内のもう一つの宮殿、ベラスケス宮殿は現在ソフィア王妃芸術センターの分館になっていて、期間限定の特別展が開催されています。
わたしが行った時は名前は忘れてしまったのですが、スイスの画家の作品が展示されていました。
木枠から外されたキャンバスがのれんのように無造作にいたる所にかけてあり、とても現代的な雰囲気でした。無料で見学できるので、もし何かの特別展が行われていたらぜひ覗いてみてくださいね。
この後バラ園に向かうことにしました。
途中で出くわしたこの堕天使の噴水も公園の見どころの一つです。
そしてこちらがバラ園ですね。
残念ながら時期的に一番の見ごろというわけではなかったのですが、それでも色とりどりの沢山の品種のバラを見ることができました。春の終わりから初夏に来れば、庭園がバラの花で埋め尽くされてさぞかしきれいでしょうね。
そしてこの後さらに歩き古典主義庭園であるセシリオ・ロドリゲス庭園にも行ってみました。
なんとここではクジャクが沢山放し飼いにされています。
見にくい写真で申し訳ないです。
他にもビバセス庭園やフランス庭園などがあるのですが、この日はもう十分すぎるくらい歩いたためまたの機会にすることにしました。
帰りの門に向かうまでにも、沢山のモニュメントや子供用の遊具があるスペースに沢山出くわしましたよ。
こちらは歴史を感じさせる建物を利用したマドリードの公立図書館。
こちらは漁師の家です。
2時間以上歩きましたが、見ることができたのはレティ―ロ公園全体の半分から5分の3くらいだったと思います。本当に広くて驚きました。
マドリード観光の時間が限られているとレティ―ロ公園に何時間も使えないこともあると思います。そんな時はアルフォンソ12世のモニュメントとクリスタル宮殿だけでも見学してみてくださいね。
まとめ
わたしはマドリード近郊に住んでいてマドリードの街には昔観光に来た時も含めて何度も行っているのですが、なぜかこれまでレティ―ロ公園には行ったことがありませんでした。
ただ今回行ってみてびっくり。緑が多く清々しい中にも歴史的な雰囲気が漂う公園は本当に散策するのが楽しく、子ども達も夢中で散歩を楽しんでいましたよ。
全体を見てまわるのはなかなか大変かもしれませんが、マドリード観光の合間にぜ一度少しだけでもこの新しい世界遺産を訪れてみてくださいね。
マドリードの隠れスポット!国立考古学博物館の見学レビュー
スペインの首都マドリードにはプラド美術館やレティ―ロ公園、それにプエルタ・デル・ソルや王宮など超有名な観光地が沢山あります。
そんな中今回紹介するのは国立考古学博物館。
あまり知られていないかもしれませんが、スペインで出土した古代の遺物が沢山展示されている超大型の博物館です。
通常でも入場料が驚くほど安いのですが、2021年の7月10日からと9月30日は入場料が無料になっていたのもあり子ども達を連れて見学に行ってきました。
ここではマドリードの隠れた名スポット国立考古学博物館についてお伝えしたいと思います。
マドリードの国立考古学博物館について
マドリードの国立考古学博物館の(Museo Arqueológico Nacional)歴史は長く、創設されたのは1867年。イサベル2世が王室が保管していた考古学や民俗学に関する資料を分類、展示する必要があると考え、王令を出したのがきっかけです。
現在の建物はフランシスコ・ハレニョ・イ・アラルコンによる新古典主義の重厚な建物で、1866年から26年間かけて建設されました。
古代から近代までのスペインや地中海沿岸地域で出土した貴重な資料が展示されていて、館内を一周すると特に旧石器時代からイスラム支配時代までのイベリア半島の歴史の流れを総括することができます。
http://www.man.es/man/home.html
マドリードの国立考古学博物館見学レビュー
わたしがマドリードの考古学博物館に行ったのは8月上旬。
マドリードは夏ものすごく暑いにも関わらず海がないため、7月と8月は住民がこぞってバカンスに出かけていなくなります。いつもはその分観光客が増えるのですが、2021年はコロナで海外からの観光客が激減。渋滞もなく駐車スペースはいつも空いていて、街もガラガラです。
でもやはり無料で見学できる期間なのもあって、国立考古学博物館は結構混んでいましたね。
入場するとまず1階に先史時代の遺物が広いフロアを埋め尽くすように並んでいます。
まず目に入るのは猿人・原人・旧人・新人など骨、次にこの時代の人たちの生活を垣間見ることができる食器や武器それに装飾品などを時代順に見学することができます。
この時代の儀式に使われていた、顔つきの装飾品が気になりました。
動物をかたどった器も多かったです。
次に2階に展示されているのがスペインの原史時代の遺物です。ここでは国立考古学博物館に行くなら必ず見るべき展示品があります。
それがこちらのレディ・オブ・エルチェの像です。
なぜそんなに大切なのと不思議に思ったかもしれませんね。その理由を簡単に説明しておきましょう。
でもこの像は古代ローマの一部となる前の時代、この土地で暮らしていた人たちが独自に文化を育んでいた時代のものです。
他のどの文化の影響もうけていないスペインらしい文化を象徴するものということで、外のどの展示物より重要だとされているんですね。
この時代はこの像以外にもなぜか女性の像が多かったです。
また金の装飾品もきれいでしたね。
3階には古代エジプトと古代ギリシャの遺物が展示されています。
古代エジプトの遺物はあまり数は多くないものの、ミイラも数体ありましたよ。
古代ギリシャの遺物は陶器が中心ですが、結構充実していました。古代ギリシャ時代のものを見るのは初めてだったのですが、黒を基調とした陶器の数々は本当に美しかったです。
古代ギリシャ時代の展示の後、おそらく3階と2階の間の階に古代ローマの遺物が並んでいます。ここでの見どころはやはりモザイクでしょう。
この後イスラム文化の美術品が並ぶスペースを見てから、この日の見学は終了しました。
夢中で見てまわっていたので気付かなかったのですが、なんと入場してから2時間以上たっていました。
わたしが暮らすアルカラ・デ・エナレスにも考古学博物館があるのですが、比較にならないくらいの規模でした。
6歳と9歳の子ども達はプラド美術館より楽しんでいたので、お子さんと一緒にマドリードを旅行される方にもおすすめです。
まとめ
軽い気持ちで入ったものの結局全体を見るのに2時間以上かかってしまいましたが、展示内容はかなり見ごたえがありました。
もし興味があれば、ぜひ一度国立考古学博物館にも足を延ばしてみてくださいね。
通常時でも入場料は€3しかかかりませんし、アルカラ門からほど近い場所にあり地下鉄セラーの駅から徒歩3分と簡単にアクセスできます。
スペインのメリダを散策!古代ローマの遺跡が残る世界遺産の街
スペインのエクストレマドゥーラ州にあるメリダはローマ帝国の遺跡が多数残る町です。
町に残る円形劇場やローマ劇場、神殿や水道橋などの29か所の遺跡は、メリダの考古遺跡群として世界遺産に登録されています。
エクストレマドゥーラはスペイン観光ではどちらかというとマイナーな場所ですが、メリダはアンダルシア州の州都セビリアからバスで2時間もかからない場所にあります。
わたし自身メリダにはセビリアに要がある時に立ち寄ったのですが、想像以上に見どころが多く夢中になって散策を楽しんでしまいました。
ここではそんなメリダの見どころを写真とともにたっぷり紹介したいと思います。
メリダに残る古代ローマの遺跡たち
メリダの起源は紀元前25年の古代ローマ時代に建てられた『エメリタ・アウグスタ』という植民市です。
スペイン内には古代ローマの遺跡が残る町は結構たくさんあるのですが、その中でもメリダに現存する遺跡は特にきれいな状態で残っています。
しかも古代ローマから帝国ローマまで重要な町だったのもあり、どの遺跡もスケールが大きいです。
まずはやはり円形劇場とローマ劇場を見に行きましょう。
メリダの円形劇場とローマ劇場は隣り合わせの場所にあり、同じチケットで一緒に見学することができます。
順路の通りに進むと、まずは円形劇場が現れます。
その昔グラディエーターもこの通路を通ったのかもしれません。
そしてこちらがローマ劇場ですね。
スペインにはカルタヘナやマラガなど円形劇場の遺跡が残る町がいくつかありますが、そのほとんどできれいに残っているのは観客席の階段部分だけなんです。
舞台側がこんなにきれいに残っているのは珍しいですね。建設はなんと紀元前24年ですが、それにしても円柱や彫刻などが本当に美しいです。
円形劇場とローマ劇場の隣には円形劇場の住居跡があります。
この住居跡の一番の見どころは床のモザイクですね。
小さな石で細かい幾何学模様や風景は見事です。
円形劇場とローマ劇場のすぐ傍には国立ローマ博物館もあります。この博物館にはメリダで発掘されたローマ時代の遺物が沢山展示されています。
外観からはそんなに大きな博物館じゃないのかなと思ったのですが、3階建ての館内には所狭しと様々な展示物が並んでいて、全部見てまわるのに2時間くらいかかってしまいました。
大きい通路を挟んで小さな部屋がいくつもあります。
ローマ時代のお金です。
このモザイクは4頭引きの馬車で競争するローマ時代のスポーツ、戦車競走がモチーフになっています。
しまもメリダにはこの戦車競走が行われた円形競技場も残っています。
先ほど紹介した円形劇場の倍くらいあるんじゃないかと思うほどとにかく広く、ぐるっと一周するだけで完全に息が上がってしまいました。
次にメリダの旧市街の中心部を散策していきましょう。コンパクトで小さなお店やバルが並ぶかわいらしい街並みの所々に、ローマ時代の遺跡が残っています。
わたしが泊まっていた観光用アパートのすぐ近くにあったのがこのディアナ寺院です。
この寺院の周りにはテラス席のあるレストランやバルが沢山あり、寺院を眺めながらのんびりランチやディナーを楽しむことができますよ。
この広場にもレストランやバルのテラス席がびっしりと並んでいます。休憩がてらテラス席でのんびりタパスやドリンクを楽しむのもおすすめです。
スペイン広場からもう少し行くと、アルカサバとローマ橋があります。
ローマ橋と並行して新しい橋が何本かかかっているのですが、このローマ橋が一番美しくしかも頑丈そうな感じがしましたよ。
ただ歩行者専用なので、のんびり歩くことができます。かなり長いのと真夏の真昼で相当暑かったので、橋の半分くらいまでしか体力が持ちませんでした・・・。
さて、町の北側に場所を移すとミラグロス水道橋があります。
線路の下をくぐって公園に足を踏み入れるといきなり現れるのですが、とにかく大きいです。
夕方で大分暑さも和らいでいたのですが、水道橋のつくる日陰にシートを敷いてのんびりしている人たちが何組も居ました。
2000年以上前の遺跡の近くが現在の人たちの憩いの場になっているのはなんとなく興味深かったですよ。
メリダの感想
小さい町だし1日で見どころを全部見て周れるだろうと思ったのですが、無理でした・・・。
メリダの観光地8か所の入場券がセットになった周遊チケットを買ったのですが、ここに紹介した以外に行けなかった所が何か所かあります。(2021年7月現在で大人€16、12歳以下は無料。円形劇場とローマ劇場のチケットが€13なので、2箇所以上行くなら周遊チケットの方がお得です)
ただチケットに有効期限がないとのことだったので、また行く機会があればぜひ利用したいと思います・・・。
のんびり見てまわるなら丸2日くらいは見ておいた方がいいかなと思います。
それにしてもローマ時代の遺跡は壮大で、とてもじゃないですが2000年以上前につくられたものとは思えませんでした。
あの時代の人たちと同じものを見て同じものに触れていると思うと、本当に感慨深かったです。
用事のついでにちょっと立ち寄るといった感覚だったのですが、思っていた以上にたっぷり楽しめましたよ。